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   トップ > 取材記録  ・・・H-UAロケット打ち上げを見に種子島に行ってきました。
 
 ● H-UAロケット7号機打ち上げ体験記 (2/22-2/28)
 
修正後の旅程表
2月25日(金)出発(種子島へ)
★ 26日(土)打ち上げ
27日(日)予備日
28日(月)帰京

 日本の主力大型ロケットであるH-IIAロケットが、2003年11月のH-IIAの6号機の打ち上げ失敗以来、1年3ヶ月ぶりに満を持して、H-IIAロケット7号機として打ち上げを再開しました。

 私はこの打ち上げを見るために、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の種子島宇宙センターまで行くことにしました。打ち上げを自分の目で見る機会はこれが初めてでで、ドキドキしながらその時を待っていました。
 当初2月24日打ち上げの予定でしたが、当日の天候悪化が予想されたため、22日時点で26日以降に延期になりました。



H-UAロケットについて詳しくは:
 H-IIAロケット7号機カウントダウン(株式会社ロケットシステム)
 宇宙航空研究開発機構(JAXA)
   

 2月22日(火) 羽田空港に向かう途中で”延期”の知らせ
 24日の打ち上げに向けて、22日〜25日の予定で、お昼前に出発。
 ところが羽田空港へと向かう電車の中で、「天候不順のため26日以降に延期」という連絡を受けました。急遽、旅程をすべてキャンセルし、25日以降に組み直し。
 「よく延期されるからね〜」とマスコミ関係者から脅かされていたことが現実になってしまったわけです。が、私の仕事のスケジュール上、28日までならなんとか待てます。そこで、上記”修正後の旅程表”のように航空機、船、宿を取り直しました。
 お願い!晴れて26日か27日に飛んでください〜!と祈る気分です。

 2月24日(木) 「26日に打ち上げ」決定の知らせ
 お昼ごろ宇宙航空研究開発機構(JAXA)の広報班の方から連絡があり、「26日夕方に打ち上げ」と決定したとの連絡がありました。今回プレス参加させていただいているため、登録している関係者に連絡を下さっています。
 週間天気予報によると26日は「くもり時々晴れ」。よっしゃー!!
 仮押さえしていた飛行機と船の予約を確定することに決めました。
 出発は明日(25日)、帰京は28日の予定です。


 26日、H-UAロケットは念願の打ち上げ成功を果たしました。
ここから先は種子島滞在中につけていた日記をもとに帰宅後に書いています。現場の雰囲気をお楽しみいただけたらと思います。
 2月25日(金) 種子島に到着、さっそく宇宙センターへ
 羽田から鹿児島、鹿児島から種子島へと飛行機を乗り継いで、午後3時すぎに種子島に到着しました。うす曇で風が強いため肌寒く、東京から着て行ったコートを着たままでした。

種子島行きのYS-11(鹿児島空港にて)

種子島空港の玄関

郊外の風景(バスの車窓から)
 路線バスで国道58号線を30分ほど南下すると種子島宇宙センターのある南種子町に入り、民宿長田荘に到着。貸してもらうことになっていた民宿の車(*1)を運転し、さっそく種子島宇宙センターに向かいました。午後5時45分までにセンター内の竹崎展望台に設置されているプレスセンターに行き、報道の腕章、名札、車用のシールの交付を受けなければいけないからです。

宇宙センター内の竹崎展望台(この建物の2階フロアーがプレスセンターになっている)

竹崎展望台から射場を望む

プレスセンター内

竹崎展望台から海岸を望む
 宇宙センターは種子島の東海岸の最南端に位置していて、周囲は奇岩と白浜の美しい景色が広がっています。この日は風が強く、吹きさらしのためとても寒く感じました。プレスセンターには関係者が集まっていて、テレビ局スタッフは中継設備の準備をしたり、新聞社の記者はノートパソコンに向かって何やら仕事をしている様子です。
 受付で「プレスツアー」の集合時間とスケジュールを書いた紙をもらい、いったん宿にもどりました。

 宿の食堂で夕食をとっていると、あとから一人の男性が入ってきました。宿のおかみさんが気を利かせて「この方、JAXAの方だから何でも聞いて」と私に紹介してくれました。しかし、その男性は「何も言えないからね〜」と言ったきり、一人黙々と食事を取り始めました。こちらが思う以上に警戒されているのだなと思い、自分のお茶を注いだついでにお茶をさしてあげた後、自分の居室に引き上げました。

   以下日記のまま。
「明日はいよいよ打ち上げ、どんな感動が待っているのかワクワクする〜!
 正直言うと失敗しないかどうかのドキドキよりも、間近でロケットが動き出すのを見られる期待感の方が大きい。明日はプレスツアーの集合が2:30、ってことはお昼を食べた後(*2)。それにしても、あの展望台の上でおにぎりを食べたら気持ちいいだろうなー(*3)

などと考えながら眠りにつきました。
*1
いかに島の外からロケットを見に来る人が多いかがうかがえるのですが、レンタカー会社には、すでに空車がまったくなくて途方に暮れていました。ところが、民宿のご厚意で滞在中ずっとお宅の車を貸してもらえることになって大助かりでした。
*2
プレスツアーというのはロケットの機体を大型ロケット組立棟から発射台まで移動する様子や総合指令棟の様子をプレスが取材するためのツアーです。集合時間が”午後”2時30分と思っていたことがこのあとトンデモナイことに。
*3
あとで注意書きに気づいたのですが、展望台での飲食は禁止でした。

 2月26日(土) 打ち上げ当日、記憶に残る長い一日に。
午前4時半過ぎ
 私にとって最悪の目覚めとともに、この日は始まりました。ふとんの中で目が覚めたとき、嵐のようなはげしい風が民宿のあらゆる戸を引き剥がそうとするように吹きつけて、建物全体をゆすっていました。ちょうどそのとき、JAXA広報班から携帯電話に事務連絡のメールが入りました。これは打ち上げ作業の状況をあらかじめ登録したプレス関係者向けにその都度情報を提供してくれている一斉メールです。
 そのメールの題名は「機体移動完了」、本文は「04:36 機体が射点へ到着しました」というもの。つまり、私の「打ち上げを見る」という今回の目的の次に大きなイベントである「プレスツアー」が、もうすぐ終わることを意味していたのです。
 大きなハンマーで頭をガーンと叩かれたようなショックでしばらく呆然としたあと、ようやく事態が呑み込めました。なんと、プレスツアーの集合時間2:30というのは、午後ではなく、午前だったのです。2:30といえば午前ではなく午後だと思いこんで、疑うことすらしなかった自分に対して、とても腹立たしく、自分に対して激しい怒りと不甲斐なさがこみ上げてきました。しかし、夜明け前に民宿の方を起こすわけにもいかず、かといって無断で車を乗り出すのも気が引けて、朝食の時間が来るまでふとんの中で悶々と過ごしました。

午前7時
 朝食をとりに食堂へ行くとちゅう、民宿に一人の男性が帰ってきました。おそるおそる、「プレスツアーに行かれたんですか?」と聞くと、「そうです」と眠たそうな顔で答えが返ってきました。疑惑が確信へと変わり、うろたえる私に、「でも、打ち上げがありますから」と気の毒そうに慰めてくれたその方は、産経新聞のカメラマンだということでした。

午前8時
 西風があいかわらず強く、空一面に陰気くさい分厚い雲がおおっていて薄暗いなか、気をとり直して宇宙センターに向けて出発。とちゅう、トンビやカラス、それから身重のネコまでもが道の真ん中に出てきて私の車の行く手をはばみ、車を停車させられる場面が3回もありました。種子島の動物があまり車に慣れていないだけなのか、それともなにか先行きの暗さを暗示しているのか、少し不安な気分になりながら車を走らせ、20分ほどで宇宙センターに到着しました。

宇宙センター内にある小さな”恵美須神社”。打ち上げ成功祈願に3対の清酒が供えられていた。

竹崎展望台の上は階段状になっていて、撮影機材が設置できるようになっている。

時おり雲間から射す光がまぶしく見えるほどあたりは薄暗い。少し小雨が降り始める。
 未明のプレスツアーが終わったばかりなので、さすがにプレスセンターに人はまばらで、居ても机に突っ伏したまま仮眠をとっている記者の人たちだけでした。

午前9時30分
 昼食を自分で調達しなければいけないので、一旦宇宙センターを出て、街にお弁当を探しに行くことに。岩元商店という小さなお店(日用雑貨、生鮮食料品などを揃えている昔ながらの商店)に寄って、そこのお婆さんと話をしました。少し小雨が降っていたので、
「今日はこんなお天気ですが、こういうお天気のときは、どうなりますか?」と聞いてみると、
「あんたも取材かね。西風だからねえ、本当じゃないよ。西風の雨は通り雨、本当の雨は東風が吹くときだからぁ。夕方まではまだ時間があるからさぁ。」
と答えてくれました。口調からお婆さんも打ち上げを楽しみにしている様子で、この雨は上がると予想してくれたので、ひと安心。その後、この予報は見事に的中しました。
 また、近くで見つけた「おべんとう」という店名のお弁当屋さんに入ると、てんてこ舞いの大忙しでおかずを作っていました。おそらく打ち上げ関係者が大量のお弁当を注文したのでしょう。受け取る際に「報道の人かね?」と息をはずませながら聞かれました。町は、まさにロケット打ち上げに沸いている、という感じです。

午後13時30分
 お昼前にプレスセンターに戻り、自分の席で状況を見守ります。2段液体酸素タンクの充填完了(9:26)、2段液体水素タンクの充填完了(10:26)、1段液体水素タンクの充填完了(10:40)に続いて1段液体酸素の充填完了(11:59)と、プレスセンター内に設けられた液晶画面が現在の状況を知らせています。作業は順調に続いている様子。
 朝に民宿の食堂で出会ったカメラマンと少し話しました。彼はあえてこの展望台からは撮影せずに、ロケットを正面から撮影でき、機体の「NIPPON」の文字と「日の丸」が入る宇宙センター外の撮影ポイントをすでに見つけてあるので、これからその場所に移動する、とのことでした。

午後14時30分すぎ
 あいかわらず西風が吹き、だんだん強くなってきて「これで本当に打ち上げができるんでしょうか」という話し声が記者の間からもれ聞こえてきます。
 そんな時、どこかの新聞社の記者がJAXAの報道班に「なぜ、1段液体酸素の充填のタイミングが遅れたのか?」という取材を申し込んでいたようで、JAXAの方がプレスセンターにやってきて、その質問をした記者に個人的に「作業の手順を変えただけで、問題は生じていません。」という話をしはじめました。ところが、なにかハプニングが起きたのかと思った他社の記者やカメラマンが瞬く間にその周りを何重にも囲み、押し合いへしあいになってしまった、という一幕がありました。

午後16時01分
 「第3回 GO/NO GO判断”GO”(最終x-60分 作業開始判断)」が館内放送と画面で告知されました。x-何分というのは、打ち上げ時刻xまで残り何分かということを表しています。17:09の発射まであと1時間余りとなり、いよいよ期待感が高まってきました。

午後16時29分
 「期待と設備の通信に一部エラーが生じているため、状況を確認中です」
 突然のエラーを報じるこの画面の文字に、そこにいる誰もが釘付けになりました。カウントダウンが止まり、プレスセンターは一気に重苦しい空気に包まれます。
 ウィンドウタイムといって、目的の軌道に衛星を運ぶために、打ち上げ時間帯が決まっていますから、その時間制限が来る前に、問題が解決することを祈り続けました。JAXAの広報部長がプレスセンターに来て、「アンビリカルケーブルという、機体と設備を結ぶ通信が不調」だという現状の説明をし、それ以上のことが分からないということもあって、プレスセンターは騒然としました。記者は本社に電話をし「エラーが出てカウントダウンが止まりましたが、事態の深刻さの度合いがわかりません」などと報告していました。

午後17時24分
 「発射に支障なしと判断したため、打ち上げ時刻を18:25と決定しました」
 という館内放送が入り、プレスセンターに「おぉ・・・」という安堵の声が上がりました。
 x-60のカウントダウンがふたたび始まり、18:25の打ち上げに向けて、あわただしくなってきました。私も撮影のポイントを決めるために展望台に行ったり、また新しい情報が入らないかどうかプレスセンターに降りたり、なんとなく落ち着かないまま待ち続けました。

午後18時25分
 ついに、轟音を上げてロケットが飛び立ちました。体は凍えそうでしたが心が燃え、なにか力強い衝撃を覚えました。

打ち上げ4秒前

点火(18:25)

約1秒後




 夢中でカメラのシャッターを切った後、息をのんでロケットの行方をたどりましたが、雲が低くて、すぐに(たぶん10秒以内で)見えなくなりました。

 ただ、この時点ではまだ打ち上げが成功かどうかは分かりません。このロケットの役割は人工衛星を運ぶことですから、打ち上げが成功したかどうかは、人工衛星を切り離す時点で当初決められた高度まで衛星を運べたかどうかで決まるわけです。衛星分離を行う打ち上げ40分後まで推移を見守る必要があるのです。

午後19時5分(打ち上げ40分後)
「衛星分離成功」というアナウンスが屋内に流れ、ロケットの打ち上げが成功であることが確定しました。
その瞬間、プレスルームに拍手が沸き起こり、嬉しさがあらためてこみ上げてきました。

午後20時 記者会見
 記者会見は祝賀ムードのなかで、エラー発生時の状況説明と成功の報告で進みました。
 H2Aロケットの信頼性向上のためには、今後立て続けに13回成功する必要があり、そのように回数をこなすことが必要であること、また今回の成功でその足がかりができたことが強調されました。



[2005年3月6日更新]

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