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丸いのぞき窓
―「しんかい6500」体験潜航記録―


  2005年春、私は幸運にも有人潜水船「しんかい6500」に乗る機会を得て、相模湾の深海底の不思議な世界を目のあたりにしてきました。
 そこは地上からは想像もできない、驚きに満ちた生物の世界でした。ここには、この旅行の記録を残しておこうと思います。



 大海原を眺めるうちに、途方に暮れたことはありませんか。
水平線の彼方まで広がる海は、どこまで続き、どこまで深くて、そして、一体そこに何があるだろうかと。

 もっと深く、ずっと深くへ―。

 初めて潜水船を作って海に挑んだのは、なんと紀元前330年、かのアレキサンダー大王だったといわれています。
 以来ずっと、人類はおなじ思いを抱いてきたに違いありません。


 2千年余りたった現在。
有人潜水船「しんかい6500」という道具によって、私達は今や深さ6,500メートルまで、つまり地球上の全海域の98%をカバーできる範囲まで到達できるようになりました。
 そして、相模湾の海の底で見たものは・・・。

 

(写真は一日の潜航を終えて海面に浮上した「しんかい6500」。2005年4月16日17:07、筆者が母船から撮影)
文章・写真・図版等の無断複製はご遠慮ください。
 
    丸いのぞき窓 −「しんかい6500」体験潜航記録 (最終更新日:2005年7月20日)
◆目次
  • はじめに
  • 潜航の記録
  • 出発前の準備
    4月15日『出発』 ―支援母船「よこすか」に乗船
    4月16日『船上で』 ―訓練潜航のようすを母船上で見学
    4月17日『別世界!』 ―ついに「しんかい6500」に乗って深海底へ
    4月18日『下船』 ―旅をふりかえって


  • 用語解説(船・テクノロジー関係)
  • 用語解説(海・自然関係)

  •    ※文章中の太字の語句は、ここで用語解説をしています。
  • よくある質問(準備中)
  • ●はじめに
     伊豆半島の東岸、伊東沖にうかぶ小さな離島、初島(はつしま)。
     この島から、さらに南東に6キロほど沖合いの海域は、陸から近いわりには深い海で、海底までの深さが約1,200メートルもあります。相模トラフ という、海底が日本列島の下に沈み込んでいるところにあたるためです。1980年ごろに多発した群発地震の震源域に近いこともあり、地震研究のために大変重要な観測ポイントになっていることと、あとで書きますが特有の 生物群集 が見つかっていることで世界でも有名な”深海の名所”なのです。

     2005年4月17日、この海底に向かったのは、人を乗せて世界一深く潜ることができる 有人潜水調査船「しんかい6500 。年に一度の定期検査を終えたあとに行われる、訓練と広報とを兼ねた試験潜航の航海中です。そしてこの日、私に一日体験乗船させていただく機会をいただいたのです。
     日本どころか、世界に名だたる「しんかい6500」に乗船して 深海 を目の当たりにすることができるなんて、想像しただけで夜も眠れなくなるほどの興奮を覚えました。人は誰でも人生のうちに3回チャンスが訪れると聞いたことがありますが、まさにそのうちの一回が、今自分の目前に迫っている、そんな風に感じたのです。














    0m





    200m




    400m
    ※暗闇に
    ●潜航の記録

     ■出発前の準備
     この一世一代の大イベントにどう立ち向かえばいいのか。いろいろ考えてみましたが、考えているだけでは答えが出そうもないので、とりあえず思いつくことをやってみることにしました。
     何度か 海洋研究開発機構 (「しんかい6500」を運用・管理している機関)に足を運び、整備中の「しんかい6500」を見学し、元パイロットの方や、研究者の乗船体験を伺いました。(そのたびに段取りをとって下さった機構の皆さんには大変お世話になりました。)
     それからもちろん深海をあらかじめ知っておくために、生物学、地学、技術の立場からの書籍を読み、できる限り潜航当日を想像できるようにしました。

    実験を考える
     しかし、何かが足りない。当たり前ですが120気圧の水圧、暗黒、静寂、有毒ガスの冷たい水に満たされた深海という環境が、本を読んでいても、どうしても実感できないのです。そこで仕事的な使命感のようなものも手伝って、いくつか実験の計画を立てました。大きく分類すると

      1.水圧実験
      2.マニピュレータ実験
      3.採集

     です。それぞれを簡単に説明すると、1の水圧実験は、よくやられるカップラーメンのカップが高圧下でどう変形するか見るのと同じで、要は水圧でモノがどう変化するか見てやろうというものです。カップラーメンのカップ、発泡スチロールのテニスボール大の球、マシュマロ、カステラ、かっぱえびせん、卵(生・ゆで)、ドライアイスが頭に浮かびました。そのほかに、生き物に対して高水圧がどのような影響を与えるのかを実感したかったので、大豆、あずき(それぞれ水でふやかし、発芽寸前のもの)、生イースト菌、こうじ菌、生きたアサリも準備しました。(アサリとドライアイスは乗船場所の清水にて調達しました)

     2のマニピュレータ実験は、ワイン(あらかじめコルクに傷をつけないように一度中身を抜いて水を入れ替えて栓をし直したもの)の栓抜きを「しんかい6500」のマニピュレータでトライしてみようというもの。「しんかい6500」が私たちの日常生活とどれだけ同じ(または異なった)手を持っているのか実感したかったので考えたものです。

     3の採集は、深海の生き物と泥の採集です。とくに潜航予定の海域にはシロウリガイという特有の貝の大群集が存在していることで知られているので、楽しみにしていました。以上が実験に関する準備で、どこまで上手くいくかは分かりませんが、わくわくしていました。

    トイレで試し撮り
     そのほかに準備する必要があったのは、せまい潜水船内の様子を撮影できるカメラです。
     今回、「しんかい6500」の中の写真をなんとか撮りたいと思い、思い切って17ミリの広角レンズを入手しました。内経2メートルしかないコックピット(※注)ですので、標準レンズでは全然画角が足りないからです。
     そして新しいレンズでカメラの設定を覚えるために、トイレに籠もって、いろいろ条件を変えて試し撮り。私の出したフィルムを現像したDPEの店員さんは、ひたすらトイレの中を撮影しした写真に、さぞかしびっくりしたことでしょう。
    注:「しんかい6500」のコックピット(耐圧穀)はチタン合金でできた内経2メートルの球殻です。さらにその内側にびっしりと機材を搭載するので、実質的な広さは縦方向が1570mm、横方向が最大で1120mm程度しかありません。そこに定員3人の大人が乗るので、かなり狭いのです。

    イメージトレーニング
    「『しんかい6500』に乗るには何か訓練が必要なのですか?」
    とよく聞かれます。
     答えは「健康であればとくになにも必要ありません」です。有人潜水船が、宇宙ロケットと大きく違うところです。
     (もちろん、パイロットは操縦のための訓練を十分に積んでいます)
     ですが、だからといってまったく気楽かというとそうでもなくて、一つにはトイレの問題があります。深海潜航はトータルで8時間ほどかかりますので、そのあいだ、トイレは我慢するか、ゼリー状に固めるパックを使用するしかありません。コックピットは内経2メートルの球殻で、トイレを設置するスペースがないからです。

     次に大事なのは「寒さ対策」です。深海の温度は海域にもよりますが、だいたい2,3℃ぐらいですので、「しんかい6500」の中も次第に冷えてきます。しかし、暖房器具は一切ないので、厚着をする必要があります。
     「それなら、ホッカイロを持っていけばいいかな」と思ったら、ホッカイロ禁止だそうです。コックピットは閉鎖空間ですから、人が吐いた二酸化炭素を吸着剤に吸着させて、その分、酸素を酸素ボンベから供給します。燃焼を助ける酸素濃度が多少高いため、火災予防の意味で火気厳禁なのだそうです。

     ほかに必要なのは船酔い対策です。といっても、「しんかい6500」はあまり揺れず、むしろ母船の「よこすか」のほうが揺れるので、母船で船酔いしないようにという意味合いのほうが強いのですが。
     しかし、私にとってはこの3番目の船酔いが一番心配でした。寝不足や空腹、体調がよくないときなどには、私は路線バスや電車で酔ってしまうこともあるくらいなのです。そこで薬局で「乗り物酔い止め薬」を購入して持っていきました。

     これで不安なことはないはずなのですが、やはり未知の体験に対する恐れがあったのでしょう。潜航の1週間ぐらい前から、船に乗っている夢をよく見ました。トイレを我慢している夢も見ました。
     そしてさらにもっとリアルなのでは、「しんかい6500」に乗って相模湾の海底をシロウリガイのコロニー(生物群集)に沿って進んでいたのですが、突然、そこの海底がパックリと割れ、海底地震が起きたという夢も見ました。潜水船は大揺れしているのですが、なぜか私は冷静に「やっぱり、こんなこともあるんだろうなあ」とつぶやいていました。  

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    600m





    800m





    1000m





    1200m
    1228m
    (今回の到達深度)
     ■4月15日 『出発』 ―支援母船「よこすか」に乗船
     15時00分、清水港の袖師12号岸壁から「しんかい6500」を乗せた支援母船「よこすか」が私たちを乗せて出航しました。
     「よこすか」は全長105.2メートル、4,439トン、定員60名の船で、前から見ると白い船体がなかなか美しい形をしています。
     後方には「しんかい6500」を吊り上げるためのブルーのAフレームクレーンがついていて、後ろからみると作業船の趣きがあります。右の写真で、半分下ろされたシャッターの向こうに白いプロペラが半分のぞいています。「しんかい6500」です。潜水船はこのように格納されて、目的海域まで運ばれるのです。
     この日「よこすか」に乗っていたのは船員さん、潜航チームの方々、そして私たちゲストで総勢44人でした。

     乗船するとすぐに、船の生活に関しての注意事項の確認を受けました。
     主な内容は、

     1.入浴は朝8時から潜水船を揚収するまでは禁止(ダイバーにサメが近づかないように)
     2.夜は外に出ないこと(「よこすか」のデッキには簡単な手すりしかないため)
     3.水を使いすぎないこと(タンクに積んでいる分しか水がないため)
     4.日没後はカーテンを閉めること(見張りの邪魔になるため)
     5.朝食7:30 昼食12:00 夕食17:00(夕食が早い!)
     6.メールは6時から22時まで1時間ごとに一回、300KBまで
     です。
     とくに1は「しんかい6500」の母船である「よこすか」ならでは、だと思うのですが、「しんかい6500」と「よこすか」との着脱を2人のダイバーがゴムボートで海上に出て行うため、サメが匂いにつられて近寄ってこないように対策をしているのです。ですが後で元運航チームの方に聞いた話では、実際にはダイバーが作業のために海に入る時間は1分程度なので、それぐらいの短時間ではサメに襲われることはないそうです。
     実際、フランスやアメリカの潜水船の運航ではこのような規制は行わないようですが、相手は野生動物ですので予想外のことがないとも限りません。これぐらいの心がけで不測の事態に遭遇する可能性を下げられるとするなら有効な安全策、と考えてのことなのでしょう。

     続いて出航前に、航海の無事を祈るために、ブリッジにある金毘羅さんの神棚に全員で参拝するのが決まりになっているということでした。44人全員がブリッジに集まり、かしわ手を合わせて祈願したあと、お神酒で乾杯しました。このときに初めて石田キャプテン(船長)にもお会いしました。船ではキャプテンの命令が絶対です。15才のときから船乗りになり、人生のほとんどを船で過ごしてきたという石田さんは、少年のような透き通った目をして、海のロマンを語る素敵な白髪の老紳士だということが、のちのち分かっていくのでした。

     この日は夕方から海が時化だして、私はさっそく船酔いになり、夕食にはほとんど手をつけられませんでした。「よこすか」船上の食事は美味しくて量がたっぷりあって評判だということを研究者から聞いていましたので、楽しみにしていたのですが、その噂通りのこのメニュー。ポークソテーとかつおの刺身、そのほか沢山のごちそうが並んでいたのに!
     船酔いに興奮と期待と不安が入り混じってなかなか寝付けず0:30に消灯。真夜中に突然の大きな振動を感じて何度か目を覚ましながら次第に記憶がなくなっていきました。
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     ■4月16日 『船上で』 ―訓練潜航のようすを母船上で見学
     この日は潜航チームによる「しんかい6500」の訓練潜航日でしたので、母船上にいて「しんかい6500」が海面に降ろされ、潜るようすを船から観覧しました。

     写真は朝9時45分ごろに「よこすか」の後部から「しんかい6500」を海におろすために、Aフレームクレーンで「しんかい6500」が吊り上げられている場面。
     向こう側には海が見え、海上にはゴムボートに乗ったダイバーが「しんかい6500」を吊り上げている2本の太いロープのジョイント部をはずすために待機しているのが見えます。まったく手際よく、よどみのない手順に沿って作業が進められ、ほどなくして「しんかい6500」は波間に消えていきました。
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     ■4月17日 『別世界!』 ―ついに「しんかい6500」に乗って深海底へ
     ついに当日がやってきました。わたしは目覚まし時計より一時間も前に目覚めてしまい、船室の小さな2段ベッドから這い出しました。前夜から伊東沖に停泊していた船は速力を上げ、まるで湖のようにおとなしい海に白い波しぶきを立てています。空をおおっていた雲は過ぎ去り、空の水色の透明感と海面の輝きが水平線の向こうでミルク色に溶け合い、おだやかな一日を暗示しているようでした。
     食堂で焼きたての厚切りトーストとサラダを平らげたあと、船の最後部に行くと、マッコウクジラのような「しんかい6500」を囲んで、すでに潜航チームの人々が準備を始めていました。

    「それじゃあ、そろそろ行きましょうか」
     ふいにパイロットの櫻井さんが、乗船の時が来たことを私に告げました。私は最後にトイレに行って来るから、と言って自分の船室に行き、携帯で自宅に電話をしました。
    「これから潜ってきます。何もないと思うけど、万が一なにかあったら、あとはヨロシクね」
     留守録にそうメッセージを残すと、準備を整えて待つ「しんかい6500」のところに急いで戻りました。耳の奥で留守番電話の"ピー"という音がこだましていました。事故はまったく想定していませんでしたが、それでも少し神妙な気持ちになっていたのです。

     「しんかい6500」に乗るには専用のタラップを登ります。ふいに一ヶ月前に種子島にロケット打ち上げを見に行ったときにYS−11に乗り込むタラップを思い出しながら階段を登っていきました。タラップというのはいつも異空間への冒険のはじまりを意味しているのかもしれないな、と思いながら、9時38分、カメラマンの方たちに向かって手をふり、はしごを降りて「しんかい6500」のせまいコックピットにもぐり込みました。


     ひとことで言って、そこはまるで穴蔵です。
     コックピット(耐圧殻)の中は、全周にわたって計器が設置してあるのでとても狭く、大人三人が座って手荷物を置くと、ほとんど隙間がないほどです。船内は天井のハッチと、足元の3つの小さな丸窓から光が射しているだけで、すでに薄暗い空間です。船にはパイロット(操縦士)の櫻井さんとコパイロット(副操縦士)の松本さんがすでに乗り込んでいて、おびただしい数の計器のスイッチを、一つずつ声に出して確認しながら"スイッチON"にする作業が続いています。

     9時45分、船体を載せた台車がAフレームクレーンの吊り上げ位置まで移動しました。頭上では、係員の方が丁寧にタオルでハッチの接触部を拭いてから、蓋を閉めました。櫻井パイロットがのそっと立ち上がって内側から手をあげて、天井のハンドルを16回まわして半周だけもどしました。この瞬間、室内が急に暗くなり、外から完全に隔絶されたのです。

     9時55分、ほとんど振動を感じないまま船体がクレーンで吊り上げられました。丸窓に手を近づけて外に向かって手を振ってみると、見送りの人たちが振り返してくれました。しばし地上との別れに胸が高鳴ります。
     すぐに着水し、丸窓の外に明るいブルーの水面が泡立っているのが見え、まるで水中メガネでプールをのぞいているような、そんな気がしました。ダイバーが「しんかい6500」の天井に登って主索のワイヤーをとりはずすゴトンという音が聞こえ、船体がすこし揺れはじめました。

     「よこすか、しんかい、ベント開、ヒトマルマルロク。どうぞ」

     10:06、潜水船パイロットの桜井副司令がこう言ってベントを開くのと同時に、潜水船のタンクに注水が始まり、船が潜りはじめました。
    ロケットが、エンジンを全開にして華々しい轟音を上げて、地面をゆるがしながら天空を目指すのに対して、潜水船は自重で静かに降下し深海を目指します。関係者以外の誰にも知られることなく、海の波間にすっと消えていく。ただただ地球の重力に従って無抵抗に海に引きずられていくのです。なんという厳かな旅立ちでしょう。

     サンプルバスケットに取り付けた実験の木切れやお菓子、アサリなどの様子を観察をしているうちに、あっという間に深度が増していきます。エレベーターのようにかすかな下降感があるのかと想像していましたが、まったく加速度は感じず、ずっと止まっているようでした。わずか28分後の10:34には深度1,157メートル、海底から60メートルのところまで到達したということが、まったく信じられませんでした。

     その場所で「しんかい6500」がそれ以上沈んだり浮上したりしないように、船体にかかる浮力と重力をバランスさせるため、持っていた鉄のバラストを半分投棄しました。この状態で初めて「しんかい6500」は自走を始めることができるのです。そして強力な7つのライトを点灯し、静かに下降して海底を目指すのです。
     パイロットの櫻井さんがこう宣言しました。

    「よこすか、しんかい、吊り良し。これより海底に降りる」

    そして、10時48分、私を乗せた「しんかい6500」は、ついに深度1228メートルの深海に降り立ちました。

     そこはまったく太陽光が届かない暗闇なのですが、ひとたび「しんかい6500」の強力なライトが当たると、春先に降るぼた雪のようにマリンスノーが降り続くなかで、とても奇怪な深海生物たちが鮮やかに目の前に姿をあらわし、元気よく泳ぎ回っている様子に圧倒されました。

     真っ赤なエビが立ち泳ぎをし、真っ赤なカニ(エゾイバラガニ)が歩き、アナゴやウナギ、頭でっかちの奇妙な魚が次々に潜水船に近づいては離れ、たくさんの透明や赤いクラゲがビュンビュン飛び回っています。
    真っ暗な中にあんなに豊かな生物世界があるなんて・・・と言葉を失いました。

     中でも印象的だったのが、傘の大きさが5cmぐらいの半透明で無色のクラゲ(右の写真)で、体内の一部が時折ピピッ!とLEDの信号を発するかのように赤や緑に光り、まるでこちらに何かを問いかけているようで、”エイリアン”のイメージそのものでした。(あとで研究者に聞いたところ、自ら発光していたことも否定はできないが、おそらくライトの光を反射していたのではないかということでした)

     初島からほんの数キロしか離れていない海底が、あんなことになってしまっているなんて、やはり深海というのは陸にいる私たちから完全に隔絶された別世界なのだと思いました。

     6時間43分があっという間に過ぎ、名残惜しい思いで深海を後にしました。
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     ■4月18日 『下船』 ―旅をふりかえって
     朝6時半ごろに起きて船上での最後のご飯をいただき、7時半すぎに下船しました。
     「よこすか」が持っている小さなボートで、船員さんに伊東港の埠頭まで数百メートルを運んでもらいました。「よこすか」船上からは船の総指揮官である船長、「しんかい6500」の総指揮官である司令、副司令、その他大勢の皆さんがみんなで手を振って見送ってくれ、胸が熱くなる思いでした。

     そして、3日半ぶりに陸に上がって気づいたのですが、体がふわふわ揺れていました。「陸(おか)ゆれ」というそうですが、その状態がこの後3日ぐらい続きました。
     帰りの東海道線の車窓から、ふと海を眺めると、海面がキラキラと光り、水平線の彼方に「よこすか」の船体が、春霞みににじみながら小さく、まるで幻のように見えました。こうして私の夢のような3泊4日が幕を閉じたのです。

     旅から1ヶ月ほどがたち、少し時間がたってみて、結局、あの深海の光景が、私にあの独特な感動というか感覚を起こさせた原因は何だったのか、ということがようやく分かり始めました。それは、「私たちの生活している場所からほんの数キロしか離れていない場所に、思いもよらない生物世界があった」という事実に尽きるということです。
     なんだ、それだけか、と思うかもしれませんが、あの光景を目の当たりにすると、そのことの意味の重さが実感できるのです。

     私が見た生物世界が地球ではなく、どこか他の惑星だと言われても、私にはまったく否定することができないでしょう。真っ暗闇で冷たくて高水圧で空虚なのに、光を当てるとへんてこな形の生き物、奇妙な魚、美しいクラゲ、蜘蛛のようなミズムシ、真っ赤なエビが浮かび上がる静寂な世界。

     30年以上前に月到達を果たし、無人の探査機を太陽系の各地に送り込んでいる人類が、一方で陸地からたかだか数キロしか離れていない海の下の未知の生命世界に驚嘆しているのです。深海は、地上とはわずかなからの関係を持ちながらも、ほとんど独立した別の生命世界のように感じました。

     そして、もうすこしロマンの翼を広げてみると、夜空に浮かぶ星々のどこかの惑星や衛星で、太陽系の中でも、外でも、とにかく私たちの目に決して触れることがない天体にもし「海」があったとしたら、その中で、奇想天外な生物たちが元気よく泳ぎ回っているのかもしれない、などと思えてくるのです。
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    ●用語解説(船・テクノロジー関係)
    あ・・・・・・
    か・・・・・・ 海洋研究開発機構
    (JAMSTEC)
    http://www.jamstec.go.jp/
    日本の海洋科学のメッカ。略称はJAMSTEC(ジャムステック)。宇宙のJAXAに対して海のJAMSTECと捉えればいい。本拠地は横須賀市夏島町。多数の最先端研究調査船を開発・管理運用しているほか、研究部門もあり、海の探査、調査手法、地震や深海生物などの海や地球科学にまつわる先端研究を行う。横浜研究所に世界でも指折りのスパコン、「地球シミュレータ」があるほか、海底から地殻まで掘って地質調査をしようという巨大な掘削船「ちきゅう」がまもなく完成予定。従来文部科学省の研究機関(名称は海洋技術センター)だったが2004年に独立行政法人化。
    さ・・・・・・ しんかい6500 6500mまで潜ることのできる日本独自開発の有人潜水調査船。愛称「6K(ロクケイ)」。現在のところ人を乗せられる潜水船としては世界最深到達能力をもつ。地震の震源域である日本海溝など、深海底を調査する目的で建造された。1991年調査潜航開始。全長9.5m、幅2.7m、空中重量25.8t、最大速力2.5ノット。定員3名(研究者1名、パイロット、コパイロット)。リチウムイオン電池によるバッテリーで稼動し、潜航時間(潜航開始から浮上まで)は通常8時間(ライフサポートは129時間以上)。下降および上昇速度は約40m/秒。潜航回数は私の潜航で873回。
    た・・・・・・
    な・・・・・・
    は・・・・・・
    ま・・・・・・ マニピュレータ 「しんかい6500」の2本の”手”。左右2本で、それぞれ腕には4つの関節がある。先端は海賊フック船長の義手のような形をしているものが基本(交換できる)で、にぎる、つかむ、回転する動きが得意。握力は100kgもあり、研究者の希望に応じて海底の岩を掴んで割り採ることもあるという。逆に操作上、壊れやすい物を優しく掴むには熟練が必要。
    や・・・・・・ よこすか 6Kを潜航海域まで運び、6K潜航時には管制を務める支援母船。全長105.2m、幅16.0m、4,439t。航海速力は約16ノット。定員60名(研究者15名、6K運航チーム18名、乗務員27名)。就航1990年。
    ら・・・・・・
    わ・・・・・・
    アルファベット
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    ●用語解説(海・自然関係)
    あ・・・・・・ エゾイバラガニ 甲の直径が12センチぐらいで足の長い真っ赤なカニ。カニといいつつ、じつはヤドカリのなかまで横歩きではなく縦に歩く。また岩に登るのが好きなのかどうなのか知らないが、平坦な泥の海底ではなく、ところどころ底から突き出した岩の上に多くの個体がたむろしていた。相模湾の海底では、シロウリガイも食べているらしい。地元の漁師さんの間では「ミルクガニ」という名で珍味とされているそうだ。今回の潜航でも、一匹捕獲したが「10中8,9、あたりますよ」という関係者の話があったので、試食はやめておいた。
    か・・・・・・
    さ・・・・・・ 相模トラフ
    (sagami trough)
     トラフ(trough)とは、地質学用語で、海底にできる小さなくぼ地のこと。相模トラフはフィリピン海プレートが相模湾のところで日本列島の下に沈み込んでいるため、海底が地下に引きずられる形でくぼ地になっている。そのため海底の水深が1,200m前後と深い。伊豆半島を挟んで西側の駿河湾もほぼ同様の地形。
    シロウリガイ
     長さ10センチぐらいの細長い瓜型をした白い二枚貝。
    相模湾の深海名物。といっても普通は食べない。
    貝柱は美味しい、という生物学者のノリに誘われて食べてみたが、一度冷凍したものであったこともあり、強烈な血の味がした。一般には、貝全体から強い硫黄臭がするので進んで食べる人はいないと思う。
    硫黄臭の発生源はエラのなかに棲み付いている硫黄酸化細菌。この細菌が、活断層から上がってくるメタンガスを栄養にして有機物を作り出し、シロウリガイに提供する、という共生関係ができている。だから、太陽光が全くなくても生きていくことのできる生物の例として研究が進んでいる。活断層のメタン湧出域で、体を半分泥に突き刺してじっとしているので(これが食事の姿だなんて・・・^^;)、「シロウリガイ在るところに活断層あり」ということで、地質学者からは”活断層マーカー”としても重宝がられている。
    深海
    (deep sea)
     明確に何メートル以深を深海と呼ぶ、というような定義はない。研究分野によって対象とする海の深さが違うので、それに応じて深海のイメージが異なるといっていい。例えば、明るさに注目すると、水深100mに届く光は海面の1%程度、1000mでは100兆分の1といわれる。おおむね200mよりも深いと植物が光合成を行えないので、200mより深いところを「深海」と呼ぶ人もいる。どちらにせよ、海洋の88%は水深1000mよりも深いので、海の大半は深海であるといえる。
    深海の名所
    (sight)
     深海には世界中の研究者が何度も訪れるような地質学的、生物学的に面白い場所が点在し、”サイト”と呼ばれている。活発な地質活動をしているプレート境界がほとんどだ。典型的な名所の風景は、海底火山や海溝の割れ目などの奇景と、そこに群がる変な深海生物というのが多い。日本列島はいくつものプレート境界に位置することから、周辺には日本海溝、相模湾、駿河湾、南海トラフ、南西諸島海溝、マリアナ海溝(世界最深)といった名だたる深海の名所が多数存在する。大西洋では大西洋中央海嶺が有名。
    生物群集
    (biotic community)
     生物の集まり。コロニーともいう。恒常的な生物群集がある場合、そこに食物連鎖ができていることが多い。相模湾では活断層に沿ってシロウリガイのコロニーが存在する。またシロウリガイを捕食するエゾイバラガニもたくさん見られる。
    た・・・・・・
    な・・・・・・
    は・・・・・・
    ま・・・・・・ マリンスノー 生物の死骸や糞などが沈降し、ライトで照らすとまるで雪のように見えることから日本人が名付けた。深海に住む生物の栄養源になっている。
    や・・・・・・
    ら・・・・・・
    わ・・・・・・
    アルファベット
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